遊びが育てるたくましさ


子どもたちは、学習塾・けいこ塾で、わずかな休憩時間でも、無駄のない効率的な遊びを展開しています。


それに、ビルの谷間のどんな狭い空き地でも、そこに我を忘れて夢中になる遊びの場を見いだしているのです。


・・・むしろ、学習塾・けいこ塾こそが、唯一の遊び友だちの形成の場とみなしている子どもさえいるのです。


まさに遊びは、社会化の役割を持つとともに、子どもを、大人の保護的関係から独立させる能力や、現実を越えて、主体的に世界を動かしていく能力をも養うのです。


遊びは強制されるものでもなければ、指導されるものでもありません。


遊びは、本来、自由で、自発的で、自己目的的な活動であり、喜び・楽しさ・緊張感をともなう活動でなければなりません。


・・・しかし、今の子どもたちは遊びのもつ喜びを忘れ失いつつあります。

子どもの遊び能力を伸ばす 2


たとえば、子どもがりんごをボーリングのボールと見立てて遊ぶのを見て、私たちはつい子どもの遊びを中断させてしまいます。


食べ物を大事にするというしつけ上の問題もあるでしょう。


・・・しかし、一度始めた子どもの遊びを最後まで見届ける余裕が、創造性発達のために必要でしょう。


子どもの豊かなイメージの発達を阻害している原因の一つは、間違いなく私たち大人なのです。


では次に、遊びが育てるたくましさについて。


現代社会では、遊び環境が不足しています。


少なくとも、現代の子どもに自然の遊び場を提供することは困難でしょう。


・・・しかしながら、子どもの持つたくましさは、生まれつき備わったものもあります。


たとえ劣悪な環境であろうと、その環境を最も効率よく活用する力が子どもには備わっており、それが本来のたくましさといえるかもしれません。


子どもの遊び能力を伸ばす


どの子どもも、芸術家や科学者としての才能は持っています。


・・・ただその才能を生かすも殺すも、遊びの場や道具などの環境次第ということになるでしょう。


たとえば、完成度の高いおもちゃよりも、完成度の低いおもちゃの方が、子どものイメージカや創造力を育てるといわれています。


ラジコン・カーのような使用目的がはっきりとしており、用途や扱い方が限定されたおもちゃは、完成度が高いおもちゃです。


一方、完成度が低いおもちゃとは、積み木、粘土、泥、砂、水、絵の具、ブラシ、木片、いろんな種類の紙、プラスチックの空き容器、釘、とんかち、糊、布切れ、自然の草木や竹などの素材や道具や材料などです。


・・・つまり、使い方が決まっているわけではなくて、子どものイメージしだいでは、いろんなものに変形できるものです。


ただ、私たちは子どもの遊びについ干渉してしまうことが多いですね。

離婚劇の後始末1

離婚の結論が出たらあとはそこでおしまい、というわけにもいかないことがあったりするようです。

昨日は三軒の医者通い。

午前十時、長いこと待たされ、やっと耳鼻科で耕太郎の中耳炎の治療をしてもらう。

十時半、保育園へ。

ところが、早くも午前一時には、「耕ちゃん、水疱瘡みたいですよ」と園からの電話。

帰れないので、おばあちゃんに迎えに行ってもらう。

午前六時、小児科へ。

「りっぱな水疱瘡ですよ」と折り紙つけられ、一週間の自宅監禁を宣告される。

長いな――。

午後七時半、眼医者へ。

これは、私の"ものもらい"の治療のため。

「こういうものができるなんて、若いんだね」と医者に言うと、「あんたが不潔にしているからだよ」とにべもない。

この眼医者さんとは、ケンカ友だちで、会えば

「また医者が脱税したな」

「何をおっしゃる。医者は隠すのが下手なだけや。その点、弁護士は巧妙にやっているのと違うか」

などと応酬する。

さて、眼がはれていても、子どもがびょうきであろうとも仕事はしなければならぬ。

もしも願いがかなうなら… 7

夫の死後、会社から「本来なら支払われないが、飯島君にはとくによくやってもらったから」と、例のごとく私の名義の口座へ十万円がふり込まれました。

なにもわかっていない。

なにも変わっていない。

夫の命と私たちの人生をまる飲みにして、会社は平然と動きつづけています。

こんなことがあっていいのでしょうか。

あれほど法外な労働を強制したのに。

長野県に「過労死一一〇番」ができ、私はその第一号として労災申請をすることができました。

自殺であること、時間がたっていること、会社からは敵視され、組合も協力的でないなど、さまざまな困難を抱えながらも、周囲の方たちから「当時のことを風化させてはいけない」と励まされ、労災認定へむけての活動をしています。

五万人目標の署名活動も始まりました。

夫の死後、看護婦の資格をとり、いま、私は個人医院に勤務しております。

仕事をし、ふたりの子どもを育て、各地を回って署名をお願いしたりと、体がいくつあっても足りないようなめまぐるしい生活です。

過労死問題は、女性のたたかいでもあると思います。

会社に捕らわれの身になっている夫を家庭にとり戻し、夕食には家族全員の顔がそろうように。

また、母として、次代をになう子どもたちを安心して送り出せる労働環境を作り上げるために。

そのために、決して負けることのできないたたかいであると信じています。

ある意味で、過労死を巡る争いというのは残された家族するべき闘いでもあるように思いますね。

兎の足には魔力がある?


仏教では白い兎は長寿の表象でした。


元来、兎そのものはいちじるしく農産物に害をあたえるので、九州の平戸などでは兎が麦畑を荒らすのを避けるために、小さな札に「狐の業と兎が申す」と書いて立てておくと・・・


狐がそれを見て怒って兎を責めるので、兎はおそれて畑を荒らさぬようになると『甲子夜話』に出ています。


兎の脚には魔力があるといいました。


厳格に言えば左の後脚、もっと厳格には、月のくらい晩に黒人が墓地でつかまえた兎の左の後脚が一番きく、というから事が七面倒になりますな。


『抱朴子』には、兎の血を丹と蜜に和して百日聞蒸し、梧子ぐらいの丸薬にして二丸ずつ百日つづけて服用すると、神女がふたり出現して、身辺万端の世話をしてくれるとあります。


だれか実験してみませんか。


なーんて。


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もしも願いがかなうなら… 6

翌年の一月に入り、夕食を全部吐いてしまったことが何度かあったようです。

一月十日の明け方に帰ってきたときには、「きょうは仕事中眠くて、通路に倒れこんで寝ようかと思った。

もう自由に眠ることもできなくなった」と辛そうに話していました。

そして、十一日。

なんとなく心配で眠れず、夫の帰りを起きて待っていた私に、明け方二時十五分帰宅した夫は、「やっと仕事のメドがついた」と朝とは別人のような元気な表情を見せたのです。

私はほっとして眠りにつきました。

その、数時間後に自殺するなんて。

朝、八時、自宅裏の車庫で夫は発見されました。

私はロープにぶら下がっている夫を早く助けようと必死でした。

「どうか目をあけて!息を吹き返して!」。

でも、その願いもむなしく、夫は冷たくなるばかりでした。

私は夫の死に顔を見ながら、涙さえでてこず、あの一年半の生活を思いました。

まるで戦争だった。

夫がわが家にゆっくり帰れたのは死んでからでした。

私も子どもも、夫の体が冷たくなってから、ゆっくり顔を見た思いです。

はりきってスタートしたはずの生活が破綻してしまった。

ぼろぼろの雑巾のようになって、この人は死んでしまった。

死んでしまってからでは……という感じですよね。

もしも願いがかなうなら… 5

まさか、それが現実になるなんて、夢にも思わず。

秋。

夫は、「上司の方針についていけない。

もう、これ以上は働けないんだ」ともらし始めました。

たまに早く帰宅して十一時ごろ寝ていると、上司から電話がかかり、「工場の戸締まりが心配だから見てきてほしい」など、夜中に起こされて会社へ行くことも何度かありました。

そのころから、朝、胃が痛い、頭が痛いと、苦虫を噛みつぶしたような不機嫌な顔で起きてくるようになりました。

私のといかけにも返事をせず、独り言を言うこともあり、活気がまったくなくなってしまいました。

私たちは、正常な生活をとり戻すには、もう、会社を辞めるしかない、という結論を出していました。

でも、意思とは反対に、夫は班長に昇格してしまいました。

会社ではトイレにも自由に行けないほどの忙しさでした。

昼休みも返上で、三時か四時に冷えきったお弁当を一人で食べる十分か十五分だけが、唯一の休憩時間だったそうです。

夜は眠れなくなり、眠っても機械に追いかけまわされる怖い夢を見て、うなされます。


機械に追い掛け回される夢って、なんとなく、チャップリンの映画みたいな感じなのでしょうか?

暑いときにはナシ!4

長十郎と同じ時期に成熟する赤ナシである。

果実は長十郎より少し大きめ、果形はやや腰高である。

外観の特長がこのようにはっきりしているから、一度見て、完熟したものを食べたら、まず忘れることはない。

果肉は軟らかで、それは幸水と同等、甘みも幸水に負けない。

それは野菜 種以上である。

豊水の食味の特長は酸みがはっきりしていることで、それで、果汁は砂糖水のようではない。

深みのある濃い味がする。

豊水の豊は、甘みも果汁もたっぷり、ここからきていると教わっている。

しかし、未熟な果実は酸みが強い。

それだけ、売り手は客をだませない。

そんな品種でもある。

ナシ栽培農家の直売所や、産地の農業協同組合の直営売店などで買う時には、こうした品種名が正確に書いてあるはずだ。

品種名と実物を、ここでしっかり覚えておくことにしよう。

鍛治町今昔

□脇野の鋸・与板の墾・鉋(新潟県)□

三条を中心として信濃川流域にはそれぞれ特徴をもつ鍛冶の町が多いが、脇野の鋸や与板の盤・鉋もその例である。

脇野の鋸は福島県の会津から「油焼き」の技術が伝来してさかんになったといわれている。

新潟県は雪の深いところであるから、冬は出稼ぎか室内での稼ぎしか成り立たない。

織物がさかんなのもそのためであるが、これらの鍛冶製品も冬場の農閑稼ぎをもとにして今日のように発展してきた。

□高田の貸鍬鍛冶(新潟県)□

港町の直江津と合併して上越市をつくっている高田も鍛冶の多い町であった。

そして、高田の鍛冶の特徴は自分のところで打ち上げた鍬を村々の農家に貸し付けていた点である。

盛時には三千丁も貸していたという。

これを貸鍬というが、貸した鍬を晩秋に回収して代金を米でもらう。

集めた古鍬は冬の間に修理をして、また翌春に貸し出すのであった。

越後の農家は自分の鍬を持っていなかったのである。

その技術を利用した質のいいロートアイアンを作る店も多い。